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盗まれた「クィア」: 韓国メディアの「ヘテロベイティング」

クィアの物語を異性愛者の物語や、あるいは曖昧にすり替える「ヘテロベイティング」。


  • 翻訳:보꾸

  • 翻訳の検討と修正:-

  • 原文:Miguel

  • 原文の検討と修正:-

  • 投稿管理: 에스텔

  • ニュースのポスター: 가리


  • この記事は、女性問題を専門的に扱う韓国のメディア『女性新聞』にヨン・ヘウォンさんが2024年8月22日に寄稿した 「[女性論壇] 盗まれた「クィア」」を翻訳したものです。このリンクをクリックして原文をご覧ください。

  • 原文の著者:ヨン・ヘウォン(『クィアドロジー』企画者および共著者)



2024年トロント国際映画祭に出品された「大都会の愛し方」映画の予告編。韓国語音声に英語字幕。(出典:トロント国際映画祭)


8月13日、映画『大都会の愛し方』の予告編が公開された。この映画の原作は、2019年に出版されたパク・サンヨン作家の小説『大都会の愛し方』で、2022年にブッカー賞を受賞するなど、韓国でよく知られている現代クィア文学の一つである。小説『大都会の愛し方』に収録された連作の最初の小説である「ゼヒ」は、ゲイの語り手「フンス」と、彼が自分のアイデンティティを隠さなかった友人であり、かつてのルームメイトであった異性愛者女性「ゼヒ」についての物語である。評判の悪い女性「ゼヒ」、そして自分のゲイのアイデンティティを周りに素直にぶち明けられない「フンス」の小説の中での関係は、「チック・リット(chick-lit)」ドラマによく登場するような売れっ子女性のファッショナブルなゲイ友との関係とは異なる。ゼヒとフンスが同居するようになったのは、ゼヒの家を覗き見する男性のせいであり、フンスはゼヒとの同居をゲイのアイデンティティを隠すための隠れ蓑にしている。しかし、ゼヒの妊娠中絶手術に一緒に行き、わかめスープを作ってくれるのはフンスであり、府フンスの元彼氏が訪ねてきて騒ぐとき、彼らを預かるのはゼヒである。小説の中このような二人の関係は、ホモフォビア的で女性嫌悪的な韓国社会を比喩的に表しているようにも読める。ところが、映画「大都会の愛し方」の予告編では、フンスとゼヒはまるでラブコメディを撮っているように見えた。フンスがゲイかどうかさえ分からない予告編に直面したとき、クィア当事者である読者として私はとても困惑した。実際、予告編が投稿されたユーチューブのコメントを読むと、二人の関係を異性愛的な関係として読むコメントが多く見受けられる。


「クィアベイティング(Queer-baiting)」という用語の「ベイティング(baiting)」は餌を意味する。本編にまれでクィアの物語が登場するように編集した予告編は、クィアベイティングの代表的な例である。クィアであるファンダムの購買力を狙ってクィアフレンドリーに編集した予告編を公開した後、本編では予告編と異なる物語を見せるメディアの行為を批判するために「クィアベイティング」という用語が生まれた。しかし、映画「大都会の愛し方」の予告編を見て、私は「クィアベイティング」という用語と同じくらい、クィアの物語を異性愛者の物語、あるいはクィアが登場するかどうか分からない物語にすり替える行為を指摘する「ヘテロ(heterosexual、異性愛者)ベイティング」のような用語が必要だと思った。まだ映画が公開されていないので、映画の内容がどうなるかはわからないが、原作はクィアの物語として多くのクィアの読者に愛された小説であることは確かだ。もし、小説からクィアの物語が消されることなく映画化されたのであれば、なぜ予告編でキャラクターのアイデンティティが消される必要があったのだろうか。なぜキャラクターのゲイのアイデンティティは予告編に出せなかったのだろうか?



TvNドラマ「チョンニョン」の予告編。韓国語音声に英語字幕。(出典:ディズニー・プラス・シンガポール)


(左)TvNドラマ「チョンニョン」のポスター。真ん中に明るいチョゴリと緑色のスカートを着たチョンニョンが拳を腰に当てた堂々とした姿勢で立っていて、左右に劇中の人物たち。 (右)Naverウェブトゥーン「チョンニョン」の画像。真ん中に白いチョゴリと青いスカートを着たチョンニョンが拳を腰に当てた堂々とした姿勢で立っていて、左右に劇中の人物たち。 (出典: 各TvN、Naverウェブトゥーン)
(左)TvNドラマ「チョンニョン」のポスター。真ん中に明るいチョゴリと緑色のスカートを着たチョンニョンが拳を腰に当てた堂々とした姿勢で立っていて、左右に劇中の人物たち。 (右)Naverウェブトゥーン「チョンニョン」の画像。真ん中に白いチョゴリと青いスカートを着たチョンニョンが拳を腰に当てた堂々とした姿勢で立っていて、左右に劇中の人物たち。 (出典: 各TvN、Naverウェブトゥーン)

映画「大都会の愛し方」の予告編を見た後、1週間も経たないうちに、ウェブトゥーン『チョンニョン』を原作としたドラマ「チョンニョン」に原作のキャラクターである「ブヨン」が登場しないという制作陣のインタビューを聞いた。「ブヨン」はウェブトゥーン原作で主人公「チョンニョン」のファンであり、その後「チョンニョン」と愛を育む役割として登場するレズビアンのキャラクターであり、物語をリードする中心人物である。昨年、同じウェブトゥーンを原作として国立劇場に上演された国立唱劇団の唱劇(主1)「チョンニョン」でも、「ブヨン」と主人公「チョンニョン」のロマンチックな関係性は「チョンニョン」と「ヨンソ」のライバル関係と同じくらい劇の中心であり、「ブヨン」が男性との結婚を拒否して「チョンニョン」に戻るのは劇のクライマックスでもあった。伝統的な唱劇でも、原作の「ブヨン」が持つクィア的な意味を消すことなく劇を上演したのに、ドラマは「ブヨン」を消すことにしたのだ。原作がそれだけ愛された理由は、女性国劇(主2)をベースにした女性の物語であったという点もあったが、それだけ女性同士の愛が物語の中心であったことが、多くの女性クィア読者から愛されたからである。しかし、ドラマ「チョンニョン」では、二人のクィアな関係性は消されるようだ。そうでないとしても、ドラマは、クィアな物語として名を馳せた原作の知名度を宣伝していないのは事実である。またの「ヘテロベイティング」なのだ。


  • 注1. 唱劇は、韓国で発達した歌唱音楽の一種であるパンソリを演じる俳優が舞台で演技と歌を歌う舞台劇である。ミュージカルに例えることができる。

  • 注2. 国劇は唱劇の一種で、女性俳優だけで構成され、女性俳優がすべての役を演じる舞台劇である。



唱劇に脚色された「チョンニョン」のナンバー2曲、「この時代の王子が来る」と「この時代の王子が行く」 (出典:国立劇場)


去る8月11日、大田に劇団「OWTTO(オットー)」の演劇「これは名のない物語だ」を見に行った。大田は今年初めてクィア文化祭が開かれた地域でもあるが、忠清圏域で唯一クィア文化祭を開催した地域でもある。大田は大きな都市であるが、まだクィアの人権に対しては保守的な地域でもある。演劇「これは名のない物語だ」は、クィア当事者の観客の話をもとに即興でシーンを構成する演劇だった。舞台は、クィアとして自分を検閲した話、嫌われた話、家族にアイデンティティを隠さなければならなかった話など、率直なクィア当事者の話が描かれた。劇の内容もさることながら、この演劇で重要だと感じたのは、制作陣から、保守的な地域で「クィア」をテーマにした演劇を上演することがいかに難しいことかを聞くことだった。実際、韓国で「クィア」をテーマに何かを安全に語ることができる時空間は、まだ極めて少ない。多くの人がそのような時空を広げるために、クィアに対した嫌悪を恐れながら苦労してクィア物語を韓国社会に出し、さらに人気を得、ファンダムを築き上げると、それを再び足かせにして原点に戻すのが、先ほどの「ヘテロベイティング」の事例だ。しかし、これ以上、クィアの物語が盗まれるのを見ているだけではいられない。


ヨン・ヘウォン、『クィアドロジー』企画・共著。
ヨン・ヘウォン、『クィアドロジー』企画・共著。



 
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